2009年6月25日
ついこないだまで日経新聞の「私の履歴書」で磯崎新のコラムが30日
連続で掲載されていた。
(新聞記事で建築や僕が興味のありそうなものがあると、妻が切り抜きしてくれ、
NHKで建築家が出演しているときも、母親が教えてくれていつも感謝してます)
磯崎新といえば、丹下健三、黒川紀章亡きいま、建築界の重鎮。
でも僕の中でどこかこの2人とは違う見方をしていて・・・
大分のいわゆる名士の家系で育ち、上京してからの東大生時代は、芸術家連中と
ネオダダに走っていた。
このころはまだ建築家が活躍する職域も少なく、身分も学歴もご立派でないと
建築家になれなかった時代だったと思う。
事実磯崎氏はというと、父親が亡くなったあと、まだ学生だった彼は
父の友人たちに地元の大きな仕事を依頼されていた。
かつて1人のパトロンが、1人の芸術家、建築家に継続的に仕事を与えるという
パトロネージュの仕組みは近代化の過程で失われていくのだが。。。
(良くも悪くも・・)
周知の通り、東大時代は丹下研究室に属していたが、やはり異端児だったようだ。
建築家というより、思想に重きを置く、ア-ティスト。
瀧口修造、岡本太郎、ジョン・ケージや、ジャスパー・ジョーンズとも親交が深かったようで。
近年、米国の大学で客員として招かれた教壇で、
「ジョンレノンのイマジンからプロジェクトをつくれという建築の課題をだしたりした」
とかで、自身で「建築家は教職につくべきではない」、というエピソードも。
冒頭にも書いたとおり、どこか他とは違ったインパクトを与える磯崎氏。
作品もそうだし、哲学的な思想を綴った執筆が多い建築家という印象だけが強かったが
この連載を通して磯崎氏のことが少しわかってきた気がする。